2013年05月22日

100年前の名勝「桜川」

100年前の名勝「桜川」

我々が名勝「桜川」の復活に取り組むにあたり、いつも念頭にあるのが石倉翠葉氏です。

詳しくは「桜川のサクラHP」にある「『櫻川事蹟考』と石倉翠葉(重継)」をごらんいただくとして、石倉翠葉氏の尽力がなければ、たぶん国から「名勝」の指定を受けることもなかったし、その後の「天然記念物」指定もなかったろうと思います。
氏は文学を志して上京、苦学の傍ら栗田寛や鈴木重嶺、上村涼松、福羽美静、尾崎紅葉等に師事し、文学、国文学、和歌、俳句などの教えを受けたのですが、最初の師である笠松良昌翁より桜川の現況を聞かれた時、これに答えることが出来ませんでした。

「和歌を研究しようというするほどの者になれば、このように有名な花の名所が、しかも郷里にある桜川の歴史について知らないのは何事か」と叱咤され、これに赤面した重継氏は、その後櫻川事蹟の調査に全力を注ぐことになります。

そんな氏の調査と必死の顕揚によって、明治45年4月18日、侯爵徳川頼倫公一行が桜川の調査に訪れます(トップ画像)

徳川頼倫公は、“桜博士”と呼ばれた帝国大学教授三好学博士の講演や、文学者戸川残花氏の推賞、そして石倉翠葉氏の著書を読み、「かかる名所を等閑に付す(なおざりにする)べからず」と、当地の調査に訪れたのでした。

これが礎となって、大正13年に国から名勝「桜川」の指定を受けることになるわけですが、このときの調査の様子が絵はがきとして残っており、これが当時の様子を知る唯一の資料となっています。

前置きが長くなりましたが、今日はそんな中から、磯部桜川公園周辺の今昔を紹介してみます。

100年前の名勝「桜川」
現在は市道になっている神社参道だろうと思います

100年前の名勝「桜川」
現在の市道周辺(2009年撮影)

100年前の名勝「桜川」
たぶん同地で、写真右側には馬場が広がっているものと思われます

100年前の名勝「桜川」
現在の磯部桜川公園周辺(2009年撮影)

100年前の名勝「桜川」
馬場があったことを思わせる当時の写真

100年前の名勝「桜川」
馬場だった場所は、現在は公園の「山桜ゾーン」になっています

ちなみに、この絵はがきの写真を撮影したのは、侯爵徳川頼倫公本人となっています。

白黒の写真なので、桜の様子がイマイチわかりづらいですが、参道は今よりも広く、これが覆われるほどの山桜のトンネルだったと言われますから、古木も多く残っていたのではないかと思います。

この当時でさえ、衰退を嘆いていた石倉翠葉氏です。

あれから100年が過ぎ、氏のおかげでなんとかまだ名前は残っています。

しかし、果たして今の様子を見て、氏は喜んでくれるでしょうか?

田畑を売り払っても足らず、様々な努力の末、若干二十歳で『櫻川事蹟考』を発刊、進んで一生を桜川のためになげうとうと決心した氏の思いを無駄にはできません。

その思いを受け継いで、氏には到底及びませんが、我々も微力ながら名勝「桜川」の復活と、その顕揚に励んでいきたいと思っています。

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