2013年06月03日
笹部新太郎という「桜男」のおはなし
予告通り、本日ご紹介するのは、今の私からすればまさに夢のような一生を送られた方、“桜男”笹部新太郎氏(1887~1978)のお話しです。
まぁ、世の中には私のような平民からすると到底想像も出来ないような人がいるもので、笹部氏は職に就くこともなく、91年にわたる生涯を名実共に桜に捧げた方です。
笹部氏についての詳しいことは『六陵・大阪学講座「笹部桜考」』や『荘川桜』をご覧いただくとして、何故生涯を桜の研究だけをして送れたかというと、それはもう“お金持ち”だったからでございます。
帝国大学法学部政治学科という、政治家にでもなるには申し分のない学歴を持ちながら、桜に邁進することになったのは、この帝国大学入学の際に、父親から
この父親の進言の部分をもう少し詳しく書くと、
こうして入学した大学でしたが、授業に物足りなさを感じた笹部氏は、そんな父親の言葉を思い出し
以来、1973年(昭和53年)に91歳で亡くなるまで、氏は兵庫県宝塚市に自ら桜の演習林をつくり、何十万本もの桜の苗木を育成、奈良公園の桜、奈良県橿原街道1万本の桜、大阪造幣局通り抜けの桜(※参照)、大阪城公園の桜など、多くの関西の桜の名所に、この演習林で育てられた桜が植えられています。
桜に関するエピソードには事欠かない笹部氏ですが、特に有名なのが、世界遺産・白川郷の上流にあたる、岐阜県御母衣(みぼろ)ダムの2本の老巨木の移植事業です。
現在は「荘川桜」と呼ばれていますが、昭和35年、御母衣ダム建設により水底に沈められる運命であった樹齢400年を越すエドヒガン2本、重量合わせて73トンを、移動距離にして 600メートル、高低差50メートルも引き上げるという世界植樹史上例のない移植工事でした。
移植から2年、水没記念碑の除幕式に2本の桜は蘇らせた花を見事に咲かせ、村を去った人達は、わずかに生き残ったこの桜の幹を撫でながら声を上げて泣いた、という美談はNHKのプロジェクトXでも紹介されました。(詳しくは『荘川桜物語』を参照のこと)
現在の「荘川桜」
正直、この事業の成功は直接作業を行った、豊橋市の植木職人、丹羽政光氏のおかげだろうと私は思っているのですが、そもそもこんな巨木の移植自体やろうと思う人はいないわけで、これを請け負った笹部氏がいなければ始まらなかったのですから、氏の功績とは言えます。
そんな難事業を、勢いで受けてしまった時の笹部氏の心境は、
そんな笹部氏は演習林での桜の育成だけでなく、その情熱を桜に関する美術工芸品等の蒐集にも傾けました。
その数、工芸品約1千点、和本、洋書、書画など約5千点にものぼりるそうで、桜マニア垂涎のものばかり。
万古焼桜川文酒瓶(ばんこやきさくらがわもんさかびん)
これらのコレクションは現在、西宮市から寄託された「白鹿記念酒造博物館」が保有し、毎年春には「笹部さくら展」が開かれています。
とまぁ、氏の紹介だけで既に相当な長文を書いてしまいましたが、実は私が笹部新太郎氏を尊敬するのは、こうした業績やコレクションではありません。
私が共感を覚えるのは、笹部氏の桜花観です。
氏はNHKのドラマにもなった、水上勉著『櫻守』のモデルなのですが、この中でも
そして、山桜を植え、日本中を古来からの桜美で埋める夢を生涯捨てなかったそうです。
管理者にとって楽なソメイヨシノに対し「悪貨は良貨を駆逐する」という「グレシャムの法則」を引き合いに出すほどですから、相当ソメイヨシノが嫌いだったんでしょうね^^;
とまぁ、長々と笹部新太郎氏について書いてみたわけですが、私は、ソメイヨシノを嫌いとは言いませんし、日本中を山桜で埋めようとも思いませんが、佐野藤右衛門氏然り、歴代「桜守」が何故山桜を好むかは理解できる気がします。
最初は「桜川のサクラ」への思い入れからではありましたが、今は山桜という桜の魅力がわかるようになったからだと胸を張って言えるようになりました。
笹部氏の生涯に憧れはしても、遠く叶わぬ夢であることは昨日書いた通り。
私は私の出来る範囲で桜川の山桜と関わっていこうと思います。
『「荘川桜」~受け継がれていく人々の思い~』
『六陵・大阪学講座「笹部桜考」』
sspオフィシャルblog『“桜男”笹部新太郎』
帝国大学法学部政治学科という、政治家にでもなるには申し分のない学歴を持ちながら、桜に邁進することになったのは、この帝国大学入学の際に、父親から
「大学に行くのは良いが、月給取りにだけはなってくれるな。男ならこの世に生を享けた甲斐のあるだけのことを遺して死ねば本懐ではないか」(笹部新太郎『桜男行状』)
と言って送り出されたからでもあります。この父親の進言の部分をもう少し詳しく書くと、
「自らのこころの命ずるがままの言動のできないのは、その因は月給を取ることに根ざすのだから、大学へは行くがいいが、月給取りになるというのなら進学はやめてくれ。その代わりに月給は取らずとも、一生どうにか暮らしてゆけるだけの物は遺しておく。どこまでも月給取りに成ってくれるな。そして白と信ずれば、誰にでも白と言い切れ。これは何物にも替えがたい愉快なことだ」
となるのですが、さすが財産家の仰ることは違います^^;こうして入学した大学でしたが、授業に物足りなさを感じた笹部氏は、そんな父親の言葉を思い出し
「日本人の心に最も永く、また根深い感銘を焼き付けてきたものに私の生涯を打ち込んでやろうと腹を決め」(『桜男行状』)
桜に一生を捧げることを心に決めます。以来、1973年(昭和53年)に91歳で亡くなるまで、氏は兵庫県宝塚市に自ら桜の演習林をつくり、何十万本もの桜の苗木を育成、奈良公園の桜、奈良県橿原街道1万本の桜、大阪造幣局通り抜けの桜(※参照)、大阪城公園の桜など、多くの関西の桜の名所に、この演習林で育てられた桜が植えられています。
桜に関するエピソードには事欠かない笹部氏ですが、特に有名なのが、世界遺産・白川郷の上流にあたる、岐阜県御母衣(みぼろ)ダムの2本の老巨木の移植事業です。
現在は「荘川桜」と呼ばれていますが、昭和35年、御母衣ダム建設により水底に沈められる運命であった樹齢400年を越すエドヒガン2本、重量合わせて73トンを、移動距離にして 600メートル、高低差50メートルも引き上げるという世界植樹史上例のない移植工事でした。
移植から2年、水没記念碑の除幕式に2本の桜は蘇らせた花を見事に咲かせ、村を去った人達は、わずかに生き残ったこの桜の幹を撫でながら声を上げて泣いた、という美談はNHKのプロジェクトXでも紹介されました。(詳しくは『荘川桜物語』を参照のこと)
現在の「荘川桜」
正直、この事業の成功は直接作業を行った、豊橋市の植木職人、丹羽政光氏のおかげだろうと私は思っているのですが、そもそもこんな巨木の移植自体やろうと思う人はいないわけで、これを請け負った笹部氏がいなければ始まらなかったのですから、氏の功績とは言えます。
そんな難事業を、勢いで受けてしまった時の笹部氏の心境は、
「私も男のはしくれだ、ままよ、どうとでもなれ!やれるだけはやってやろう。こうした機会はまたとは来まいと胸を張るかと思えば、不運にもこれに失敗したら、私は今後はもう桜を語るまい、としょんぼり肩を落としもした」(「櫻男行状」)
だったのですから、これが失敗していたら、氏のその後もどうなっていたか…そんな笹部氏は演習林での桜の育成だけでなく、その情熱を桜に関する美術工芸品等の蒐集にも傾けました。
その数、工芸品約1千点、和本、洋書、書画など約5千点にものぼりるそうで、桜マニア垂涎のものばかり。
万古焼桜川文酒瓶(ばんこやきさくらがわもんさかびん)
これらのコレクションは現在、西宮市から寄託された「白鹿記念酒造博物館」が保有し、毎年春には「笹部さくら展」が開かれています。
とまぁ、氏の紹介だけで既に相当な長文を書いてしまいましたが、実は私が笹部新太郎氏を尊敬するのは、こうした業績やコレクションではありません。
私が共感を覚えるのは、笹部氏の桜花観です。
氏はNHKのドラマにもなった、水上勉著『櫻守』のモデルなのですが、この中でも
「だいいち、あれは、花ばっかりで気品に欠けますわ。ま、山桜が正絹やとすると、染井はスフいうとこですな。土手に植えて、早うに咲かせて花見酒いうだけのものでしたら、都合のええ木イどす。全国の九割を占めるあの染井をみて、これが日本の桜やと思われるとわたしは心外ですねや」
と言っています。(スフ=化繊)そして、山桜を植え、日本中を古来からの桜美で埋める夢を生涯捨てなかったそうです。
管理者にとって楽なソメイヨシノに対し「悪貨は良貨を駆逐する」という「グレシャムの法則」を引き合いに出すほどですから、相当ソメイヨシノが嫌いだったんでしょうね^^;
とまぁ、長々と笹部新太郎氏について書いてみたわけですが、私は、ソメイヨシノを嫌いとは言いませんし、日本中を山桜で埋めようとも思いませんが、佐野藤右衛門氏然り、歴代「桜守」が何故山桜を好むかは理解できる気がします。
最初は「桜川のサクラ」への思い入れからではありましたが、今は山桜という桜の魅力がわかるようになったからだと胸を張って言えるようになりました。
笹部氏の生涯に憧れはしても、遠く叶わぬ夢であることは昨日書いた通り。
私は私の出来る範囲で桜川の山桜と関わっていこうと思います。
『「荘川桜」~受け継がれていく人々の思い~』
『六陵・大阪学講座「笹部桜考」』
sspオフィシャルblog『“桜男”笹部新太郎』
Posted by ug at 09:00│Comments(1)│サクラぐるひ
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Posted by annotoLek at 2023年05月15日 10:05
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