2012年11月04日
つくばは水戸を超えるのか?
単位/人 色数字は増減
昨今の極めて恣意的な記事を振り返り、これが果たして「さくらがわーるどからこんにちは」なのかと自問しております。
当ブログへのアクセス元が断トツ「サクラサク里プロジェクト公式ブログ」ということに最近気づきまして、たまには「さくらがわーるどからこんにちは」的な記事も必要ではないかと、真面目に地域のことを考えてみることにしました。
「テナント募集」の貼り紙が目立つ水戸市内(銀杏坂)
「人口から見る地域の盛衰」とでも題しておきましょうか、最近水戸市のまちなかの衰退を見るにつけ、発展著しいつくば周辺との勢いの差を、人口動態を使って比べてみようと思い立ったのです。
もちろん、こんな時には県の統計を活用するに限ります。
しかし、HPを覗いてみれば、昭和50年~平成19年までは、Exelの一覧表ができているのですが、平成20年からは単年度の統計しかないじゃないですか。
仕方なく、自分でシコシコと水戸市、つくば市、そして、衰退著しいどころか過疎地域への道まっしぐらのわが桜川市の人口動態を、我が人生よりいくらか短い38年分Excelに落とし込んでみました。
すると、それぞれの市の“勢い”というものがはっきりとわかってきたのでございます。
38年分を掲載するのは、さすがに面倒なので、トップ画像にほぼ15年おき、それも国勢調査のあった年を拾い上げて掲載してみました。
相当大まかですが、これだけでも水戸市、つくば市、“過疎化地区代表”桜川市の変化がわかってくるのではないでしょうか。
各市の特徴をちょっと解説してみます。
その前にまず、茨城県の人口ですが、昭和50年には2,342,198人でした。
その後、毎年約3万人~4万人の増加を続けますが、平成に入ると急速に勢いを失い、平成11年にあと一歩で300万人の2,998,967人に達すると、翌平成12年に初の人口減少(-13,291人)に転じ、平成13年、14年なんとかプラスに転じたものの、平成15年からは毎年減少を続けています。
今年の10月が2,945,824人ですから、ピークから4万3千人も減ってしまったということになります。
さて、それでは県都水戸市(比較しやすくするため、合併前の町村も水戸市に含んで計算しています)です。
昭和50年時は220,859人と県内一の人口を誇りました。(2位は日立市の212,510人)
その後も人口の増加を続けるものの、昭和50年からずっと増加率は下がり続け、平成4年、平成15年にマイナスを記録したものの、現在も微増は続いています。
平成24年10月現在の人口は269,681人、昭和50年と比べると約4万9千人の増ということになります。
続いて、つくば市です。
昭和50年当時は、なんと水戸市の半分にも届かず、筑西市よりも少ない89,506人でした。
私は、1985年(昭和60年)のつくば万博を機に一気に増えたものと思っていたんですが、そうではなかったんですね。
昭和50年より、ずっと4、5千人の増加を続けているんです。
増加率のピークは昭和54年、55年で、この2年間は年間1万人を超える人口増加となっています。
しかし、TXの開業や沿線の開発で更に加速されたものと思っていたら、確かに開業からの5年間は年2千人~3千人の増加があったものの、その後まったく増加率は上がらず、どころか年々下がってきておりまして、現在は年1千人台の増加という状況です。
それでも水戸市と比べれば増加率も高いので、徐々にその差は縮まっています。
平成24年10月現在の人口は217,315人で、昭和50年と比べると、驚異の127,809人増となっており、水戸市にあと5万2千人と迫っています。
では、最後に私の住む桜川市を見てみましょう。
昭和50年時の人口は50,333人で、つくば市と3万8千人ほどしか違いませんでした。
しかし、先の2都市と比べて桜川市の人口動態は明らかに違います。
元号が昭和の頃はなんとか100人、200人程度の増加があったものの、平成元年の52,000人をピークに、平成に入ると人口減少率は増加の一途、平成24年現在の人口は44,449人にまで落ち込んでいます。
昭和50年と比べると5,884人も減少しているのです。
これは、都市部との格差を如実に物語る数字ではないでしょうか。
実は、昭和50年時と比べて人口の減っている自治体というのは、桜川市の他には、高萩市と行方市、大洗町、大子町、河内町市の2市3町しかないのです。
そりゃそうです、茨城県の人口は昭和50年と比べて60万人も増えているんですから。
なぜにこの3市3町だけが減っているのか…を考えるのは、そこに住まうものにとっては酷というもの。
増えることはなくても、せめて過疎化に歯止めがかけられるよう、まちおこしに携わるものとして、わたくしも微力ながら頑張ってまいりたいと思います。
あ、長々と3市の人口動態について書いてみましたが、タイトルの「つくばは水戸を超えるのか?」です。
人口だけ見れば、もしかすると近いうちに追い越すかもしれません。
でも、古くから県都としての機能を持つ水戸市と、近年になって研究学園都市として発展してきた現つくば市を比べるのは、ちょっと無理があると思います。
水戸駅北口ロータリー
水戸市は、上述の通りまちなかの衰退に歯止めがかからない状態ですが、歴史と文化のある街ですから、それらを活かした新たな魅力を創出して復活して欲しいと思います。
TXの開通で開発が進むつくば市
方やつくば市は、日本国内最大の学術都市ですし、全国的な知名度は間違いなく県内トップ。
「つくばスタイル」に代表されるように、新たなライフスタイルも生まれてきているようですし、「既に水戸を超えている」と言えばそういう部分も多々あるでしょう。
私から見てもつくばは魅力的なまちですし、今後も茨城を代表する都市として、更なる発展を期待しています。
引っ越したい気持ちはマウンテンですが、仲間と山桜がある間は、もう少しさくらがわーるどで頑張りま~す。
『つくばは水戸を超えるのか…のデータ公開』も是非ご覧ください。
Posted by ug at 21:25│Comments(1)│ちいき
この記事へのコメント
戦後一時期の日立市は人口県内一位でしたが、県北の過疎化が進んで今では水戸つくばに続く三位。
これからも県南に人が集まる流れは止まらないと思いますね。
これからも県南に人が集まる流れは止まらないと思いますね。
Posted by ななし at 2016年03月17日 09:23
コメントフォーム