2012年11月07日

百年前の日本語

百年前の日本語

久しぶりに文系のおはなし

TXで東京まで仕事に出掛けるときは、ケータイ同様、文庫本or新書は私にとって必携の品。

ところが、寝坊して慌てて出掛けたある日、研究学園駅でバッグを開くと、あるはずの文庫本がない!!
往復2時間掛けてでも引き返そうと思いましたが、なんとかガマンして乗り込みました。

しかし、やっぱ本がないと車内の50分間はつらい。

仕方なくメモ帳に書き込んだ漢詩の暗唱で時間をつぶしましたが、帰りの電車まではとても絶えられないので、昼休みに仕事場の近くの小さな書店で購入したのがこの新書。

せっかく「新書」と呼ばれるものを買うのだからと、新刊から選んだわけですが、正直本気で読みたいと思った本ではありません。

とはいえ、せっかく買った新刊は、新刊と呼ばれるうちに読んでしまいたい。

てことで、読み始めたばかりの『完本文語文』(山本夏彦著)を投げ出して、たぶん最長の2週間を要して読了した本でございます。

前置きが長くなりましたが、タイトルや帯を見ていただければわかる通り、百年前=明治期の日本語について、それも「書きことば」にこだわって書かれた本です。

明治というのは、「明治維新」と言われるように、1868年の大政奉還によって、それまでの幕藩体制が崩壊し、日本社会が急激に変容した時代です。

だから日本語も変わった…という単純な話ではないんですが、確かに明治期には外国の言葉も入ってきて、その翻訳のために多くの漢語が新しくつくられたと言われています。

サブタイトルに「日本語が揺れた時代」とあるように、著者はこの明治期の日本語を「揺れ」の状態にあったと表現します。

ただし、ここで言う「揺れ」とは、決して不安定な状態のことではなく「豊富な選択肢があった」時代と捉えており、この豊富な選択肢について、さまざまな視点から述べられています。

百年前の日本語

第1章では、夏目漱石の自筆原稿を細かに観察し、「書体」の混在や、現在で言うところの「新字体」と「旧字体」の混在、新聞における「印刷」を意識したレイアウトの変化など、手書きテキストにおける「揺れ」を解説しています。

第2章、『「揺れ」の時代~豊かな明治期の書きことば~』が本書の本題でしょう。
ここでは、語の形=語形、語の書き方の「揺れ」について解説しています。

現代は一つの語の書き方を(できるだけ)一つに定めようとする傾向にありますが、明治期は一つの語に対し、いくつもの語形、書き方がありました。

例えば、外来語である「ハンカチ」は、漢字で「手巾」と書くことがあったそうですが、「シュキン」と表すことも出来たし、「てぬぐい」と表すこともできたと言います。

また、漢字「幸福」は、漢語「コウフク」を表すことも出来たし 、和語「サイワイ」を表すことも出来、和語「サイワイ」は「幸い」と書くことも出来ました。

明治期は現在の「改訂常用漢字表」のように、一つの漢字に対して「音訓」が固定していなかったことも、一つの語がいくつもの書き方で表される「揺れ」を生んだ要因になっていると言います。

結局、明治期においては、伝統的な漢語=古典中国語、江戸期以来中国語から借用してきた新しい漢語=近代中国語、日本でつくりだされた疑似漢語、外語などのさまざまな語が、和語とともに日本語の語彙体系をかたちづくっており、それらをなんとか漢字で書こうとさまざまな表記が生まれたというわけです。

そんな明治期のテキストには、一つの文献の中で同じことばが別の漢字で表記されているものも多々あります。

例えば、「こども」を、「小供」と表記したり「子共」と表記したり。
他にも「児」、「小兒」、「幼兒」、「童兒」、「童子」などの表記が見られます。

また、一つの文献の中で、同じ漢字に別の振り仮名が表記されている例も多数あります。

例えば「助勢(たすけ)」→「助勢(じょせい)」、「大概(あらまし)」→「大概(たいがい)」、「結果(できばえ)」→「結果(けっか)」など。

こうした表記が現代のようになったのは、日本語の長い歴史の中でもここ100年くらいの間であり、それまではこうした「揺れ」の時期がずっと続いていたのだそうです。

言い換えると、現在が日本語の長い歴史の中ではむしろ特殊な状況下なのだとか。

それが現代に生きるわれわれにはわかりにくく、明治期が逆に奇異なものに見えてしまうということのようです。

さて、つづく第3章では、『新しい標準へ~活字印刷のひろがりと拡大する文字社会』として、「不特定多数」の読み手に対する書きことばの変化を解説しています。

現在、一般的な文書では「漢字ひらがな交じり」が標準となっていますが、明治期は「漢字カタカナ交じり」も普通にあって、新聞でもこれらが混在していたそうです。

ある欄では「漢字平仮名交じり」の文章が、ある欄では「漢字片仮名交じり」の文章といった具合です。

また、第2章でも取り上げたように「振り仮名」もごく自然に使われていました。
これは、新聞においても「火災(かじ)」とか「演史(こうしゃく)」など、和語に漢語を当てた表記が普通だったからです。

更に「無之(これなく)」や「為念(ねんのため)」のような漢文式表記もまだ残っていました。

それと、濁点の使用です。

濁点は江戸期より使われるようになったということですが、それでもごく一部に使われた程度で、明治期以前はほとんど仮名に濁点をつけることはなかったそうです。

まだ完全ではありませんが、明治期には濁点が使われるようになりました。

第4章は『統一される仮名字体~失われた選択肢』と題し、明治期まで受け継がれてきた「仮名文字使い」が、一つの字体に収斂していく様子を解説しています。

現在では平仮名と言えば、ひとつの仮名に対する字体はひとつしかありませんが、明治期には複数ありました。
「し」に対する「志」に似た仮名や、「え」に対する「江」に似た仮名(文字がないので表記出来ず)などです。

これが明治33年(1900年)の「小学校例施行規則」によって、現在の仮名字体に統一され、それ以前の仮名は「変体仮名」と呼ばれるようになりました。

その後も変体仮名は使われましたが、大正期に掛けて徐々に姿を消していったと言います。

第5章は『辞書の百年~辞書を通してみた日本語の百年』と題し、年代毎の辞書を通して日本語の変化を解説しています。

これについては、そろそろ疲れてきたので細かい説明は省きますが、明治期は古典中国語に加えて、「話しことば」を含む近代中国語が日本語の語彙体系に流入し、漢語の語彙が膨張した時期だったということです。

しかし、そこから漢語は「淘汰」され整理され始め、これが明治の末年から大正期を迎えるまでにはほぼ完了したそうです。

「おわりに」では、これまでを踏まえ「日本語が得たもの、失ったもの」を解説しています。

一言で言えば、失ったものは「漢語という語種」で、得たものは「不特定多数の人が理解できる書きことばの確立」ということです。

明治期以降、書きことばを書く人、読む人は飛躍的に増加したそうです。

現在のような書く人、読む人の共有する「書きことば」は、この百年をかけてできあがっていったというわけです。

とまぁ、本日は時間があったもので、長々とダイジェストなど書いてみました。

興味のない方には、まったくおもしろくもなんともない本です。

私がこの本を購入したのは、山本夏彦氏が「文語文は横文字の流入によって明治に生気を取り戻した」と言っていたのを思い出し、参考になるかな?と思ってのことでした。

結果的にみると、「少しは参考になったかな?」程度でしたが、それよりも、書きことばに豊富な選択肢のあった明治期を「良い時代じゃん」とうらやましく思います。

確かに、現在のように統一された書きことばを用いることは、不特定多数の共通理解を得るには便利に違いないわけですが、口語文が主流になって文語文がなくなってしまったように、「ことばの豊かさ」は失われてしまった気がします。

山本夏彦氏言うところの「言文一致を求めた末に、美しい文語文は跡形もなく消え失せ、代わりに洗練とは程遠い口語文だけが残った」でしょうか。

私的には、それまでの1900年を掛けて洗練されてきた「古いことば」も、今更ながら大切にしたいなと思いました。

ていうか、長っ!!

『百年前の日本語~ 書きことばが揺れた時代 』

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この記事へのコメント
日本語(文語体、文語文)漢字(文語体、文語文)昔の人って凄いですね
流行り言葉や言葉などまた日本語が変わって来ていますね
大切にしたい日本語ですね
Posted by HI-KO at 2012年11月08日 11:56
>>HI-KOさん

酒の歌(イエィツ 山宮 允訳)
酒は口より入り
恋は目より入る、
われら老い且つ死なぬまに
たしかに知るべきことはこれのみ。
われ杯を口にあげ、君をながめて 嘆息す

美しいでしょ?
しかし、これを口語文にしたら読むに耐えません。
Posted by ugug at 2012年11月09日 21:21
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